2,3年前のことですが、頭に血がのぼるに任せて、人をひどく怒ったことがありました。怒るんじゃなかったと後悔しても悔やみきれません。その後次第に体調を崩し、救急車のお世話にもなりました。もう二度と怒らない自分になりたいと思っていたある日、以前読んだことがある本が目にとまりました。その時はたいして得るところがないという感じで、読み捨てにしてしまっていた本でしたが、ふと手に取って読み返してみて、ビックリしました。以前読んだあの時に理解できていたらと思いましたが、私にとっては、この歳になってこのような体験を経てようやく理解することができたということなのかもしれません。
エゴは繰り返し、世の中は不公平だと文句を言います。
ずっと幸せでいるなんて不可能だから、本当に長い間続く幸せが欲しければ、物質的な現実にたよらなきゃだめだとエゴはささやきます。
幸せか不幸せかは、どの程度エゴの声に耳を傾けるかできまります。他人を裁いたり、恨み続けたり、非難する気持ちや罪悪感にしがみついている時は、愛も幸せも感じられません。
自分が変わるのに遅すぎる事はありません。
絶対に許さない、と言い張るエゴには、怖れ、悲惨、痛み、苦しみ、絶望、倦怠、疑い、がいっぱい詰まっています。エゴは間違いを罪とみなし、絶対に忘れてはならないと考えています。否定的な思いは、自分の身体に病気を引き起こします。
☆私達は、身体に服用する薬や、身体に取り入れる食べ物に注意するように、心に思い浮かべる思いにも注意しなければなりません。
「ゆるせない」という思いには、幸せを妨げるという強力な副作用があります。頭痛、腰痛、憂鬱、イライラ、緊張、不安、不眠、漠然とした恐怖、不幸せな気持ち等の症状を引き起こします。
毒薬を飲む人はいませんが、心にどんな思いをうかべるかについては、薬ほど気にとめられていないようです。心の特効薬はゆるしです。ゆるしは心に驚くほど奇跡的な癒しをもたらし、それらの症状を全て消し去るのです。許せないと考え、怒りや憎しみにしがみついているとき、人は自分がとらわれの身であることに気づく事ができません。他人を許すことは、自分を許すことの第一歩で、ゆるすと免疫力が高まります。
☆ゆるすためには、すべての怒りとすべての苦しみを神様にゆだね任せてしまうことです。
ふざけるな、とは思わずに、どうぞお好きにおふざけ下さいと思う事が良いかもしれません。
何考えてんだよ、とは思わない。誰でも皆自分を大切にして、何でも自由な事をお考え下さいと思うのが良いかもしれません。
何千億分の一の確率で、神様が私達をつくってくれました。せっかく頂いたプレゼント(今現在)ですから、有難く感謝して暮らしたいものです。
父なる太陽の中心から母なる地球の中心までを含めて考えてみただけでも、この世の中には、必ず光と陰が対となって共存するのです。さいわい生き物には皆、どちらを見るかの自由が与えられています。光を見るのは眩しくて辛く感じ、陰の部分を見る方が楽な事が多いかもしれませんが、どっちを見るのも自由なのです。
自分や他人を責めるかわりに、愛(神)に委ねる、という素晴らしい生き方があるのです。
本当に幸せになり、心に安らぎを感じるために、まずは許しの大切さと、そして自分や他人を愛することの大切さに気付きましょう。人生がうまくいかないとき、他人を責めたり状況のせいにしたりするのをやめることで人は幸せにちかづきます。他人を認め状況を許して受け入れることで、求めているものが得られ易くなります。
☆自分も他人も認めて愛し、まだ見ぬ人にまでささやかでも愛を伝えられるようになったら良いかもしれません。
私達の一人ひとりが、自分ででっち上げた「ゆるさない理由」を取り除き、自分や他人をゆるしたとき、私達は癒され、喜びにあふれ、心が安らかになるのです。そしてすべての人は愛に満ちているか、恐怖におびえて愛を求めているかのどちらかだと考えるとゆるし易くなるそうです。なぜなら他人の行動に善悪の判断を下さずにすむから。そして誰かに攻撃されたと身構えないで、相手は恐怖におびえて愛を求めていると考えて、その時に無理なく出来る範囲で良いから、愛をあげましょう。
☆うちにきたばかりの捨て猫だったユキちゃんもきっと、恐怖に怯えて愛を求めていたに違いありません。
この本の著者の体験談ですが、息子達が幼かった頃、よく「ちゃんと部屋を片付けなさい」と叱ったものです。何年も経ってから、私自身の仕事場が大変に乱雑だということに気付きました。仕事場がちらかっているといい気分はしないのですが、私はそれに気付かないようにしてきたのです。その代わりとして、エゴは私に「イライラするのは、息子たちの部屋がめちゃめちゃだからだ」とささやいたのでした。
いつまでもゆるせないと思っていると、苦しくなるのは自分なのですが、私達はいつもそうかんがえられるわけではありません。エゴは「ゆるさないことで、自分を傷つけた人を罰しているんだ」といいますが、実際は傷つくのは自分だけなのです。
なぜゆるすのかといえば、自分を過去から自由にするためです。他人への恨みつらみから自分を自由にするためです。
あなたも私も、お互い精一杯だったとわかっています。光に包まれ、愛と安らぎとゆるしに満ちたあなたの家族と出会うために、あなたにいつも豊かな恵みがありますように、と考えましょう。犠牲者として振る舞うのをやめれば、簡単にゆるせるようになります。ゆるすとは、一度や二度ではなく許し続けること。
人間関係で生じる問題の多くは、私達が相手に一定の決まりに従ってほしいと期待するのが原因です。ですから、そんな決まりを破ることが、幸せになるコツなのです。怒りが怒りを呼ぶ悪循環は、断ち切りたいものです。そのためには過去にとらわれず、今この瞬間を生きる、それが大切です。
ゆるしは妊娠と似ているそうです。妊娠は「妊娠しているか、妊娠していないか」のどちらかであり、「ある程度妊娠している」ことはありえません。これと同じで「ある程度ゆるす」という訳にはいきません。許しは完全でなければならないのです。
ゆるしのプロセスには、決まった構造やかたちはありません。そして自分がゆるそうとしている相手は、まったく変わる必要がないのです。そのままでいいのです。なぜなら、ゆるしに必要なのはただ一つ、自分の思いを変える事なのですから。
私達の最も素晴らしい才能のひとつは、心に抱く思いを選択できるということです。まちがいありません。ゆるせば、愛だけが存在すること、そして愛が全てであり、愛はいたるところにあると思い出せます。人生の問題すべてに対する答えはただひとつ、愛なのです。
アフリカのある現住民たちは、誰かが不正を働いたり、無責任な行動を取ったとき、みんなで囲んで全員がその人が過去にした良いことについて話すそうです。一人ひとりがその人にたいして自分の中にある愛を思い出し、周りの全ての人と一体になるのです。
神への一番の近道は、ゆるすことです。神様が作った私の人生なのだから、自分を大切にして、良い方にばっかり考えて神様からの贈物を楽しませてもらって良いのです。
死につつある人にとってばかりでなく、遺される人にとっても、最も大切なプロセスは、ゆるしかもしれません。どうぞ自分にやさしく、寛大になって下さい。そして他人と競争したり、進歩に点数をつけたいという誘惑には負けないでください。くつろいでありのままの自分でいられる方法を見つけ、それを大切にすることです。
自分を傷つけた人を「ゆるしとは何かを教えてくれる最良の教師」と考えましょう。
他人をゆるすとき、実は自分がゆるされているのです。ゆるしがもたらす末広がりで穏やかな、人生の喜びと心の安らぎを楽しみましょう。穏やかさと優しさは、ゆるしの兄弟姉妹です。
ゆるしには、早すぎることも遅すぎることもありません。気付いた時に人も自分もゆるしてください。